ただの学生が微表情分析のスペシャリストを目指す

人種、性別問わず0.25秒以下で起こる表情の微妙な変化や会話の最中に見られるしぐさ。それらは意識的にコントロールできないため、非常に重要なサインであるのに見落とされがち。そんなことに興味を持ち独学で非言語コミュニケーションを学ぶことを決めた、ただの学生のブログです。

人生における挫折とターニングポイント

今回も前回の記事に引き続き、

なぜ私が微表情、ノンバーバルコミュニケーション、また心理学に興味を持つようになったかについてお話しさせて頂きたく思います。

 

前回の記事をご覧になっていない方はまずそちらを是非ご覧ください↓

www.lietome.me

 

さて、不正脈を患い、生活の全てであった部活動に参加できなくなった私でしたが、前回受診した病院よりもさらに大きな大学病院に受診しました。

 

 この日は今でも忘れることができません。

 

診察医に病状を聞かれた私は過去の出来事について説明をしました。

しかし、医師は薄ら笑いを浮かべ、傲慢な態度をとった上、私に言いました。一字一句は覚えていませんが…

 

「特に目立った異常はない。これまで通り部活動を続けたらいい。」

 

ここで更に私を悩ませた問題は、

心臓の異常は、それを感じている本人にしかわからない。また、他人には実際の病状が伝わりにくく、精神面での弱さととらわれがち ということです。

 

実際にその医師も、私の精神面の問題であるかのような言葉遣いをしていたのを覚えています。

 

当然医師や家族には実際に私が感じていた動悸のひどさは伝わらず、結果、原因が私のメンタルの弱さであると診断された記憶があります。

恨んでいるわけではありませんが、本当に悔しかったです。決して忘れられません。

 

当時、高校生だった私にはとてもこたえました。

元々、医師や他の権力者には良いイメージを持っていなかった私ですが、

信頼していた家族ですら、自分が訴えていた病状を信じてくれなかったこと。

それが当時の私に大きな衝撃を与えたように思います。

「人間は結局こんなものだ」

「医師は自分の知識が全てだと思っていて、たかが高校生の意見など聞きはせず他人事のように扱っている」

「親は自分たちの遺伝による影響を認めたくないから自分の話を信じない(後に先天性の心疾患ではないと言われましたが)

当時はこのようなことばかり考え、

人に対して絶望し、不信になっていました。

 

次第に不安感、また焦燥感に囚われ、

部活動への参加。また学校へいくことすら困難になりました。

 

当時を振り返ると、一日中、何もすることもなく、寝ていた記憶があります。

 

それに耐えかねたのか、家族が私を連れて行ったのがとある心療内科。

 

うつ病。と診断はされなかったものの、

安定剤なるものを処方され飲むことに。

 

しかし、それらが身体に合いません。

また、副作用により動悸を引き起こすことがあり、学校に行くことが困難であったことに変わりはなく、行ったとしてもよく保健室にお世話になっていたことを思い出します。

 

気持ちが沈んでいた時は、仲が良かった友人とでさえも話すことがおっくうになり、人との関わりを避けていました。

 

その代わり、人が誰かと話していたりという場面をよく観察していました。

 

時が過ぎ、発作性心房頻拍と診断された私は、異常な電気信号を送っている場所を焼き切る。という二回のカテーテル手術を経るも、完治はせず、結局は高校最後の夏の大会に主将として出場することはできませんでした。

 

これらの出来事は、今でも夢に出てきりと、自分を苦しめます。

 

またまた、長くなってしまいましたが、

これらの経験 は自分にとって 思い出したくもない過去でありながら、

自分にターニングポイントを与えてくれたものでもあります。

 

前の記事に続いて、重苦しい記事になってしまいましたが、次回の記事では

続きを執筆させて頂こうと思っていますので、良ければ閲覧してください。

 

ありがとうございました🐈

 


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